海、人、いっぱ〜い!
人の多い駅に行くと、
人が多くてヒヤヒヤする。
全く知らない人がこんなにいて、
その人たちひとりひとりに
全く異なる生活があることが
心底怖くなる時がある。
みんな生活の尾鰭をぱたぱたさせて、
名残香をふよふよ漂わせて、
足早に出口に向かってる。
誰も彼もお化けみたいだし、
私1人だけお化けのような気もする。
〜間〜
人っ子一人いない海に行くと
波だけが動いてて嬉しい。
風がびゅうびゅうしたり、
手前の草木がゆらゆら揺れたり、
凪いだり荒れたりする渚の中で
石がころころ転がったりしている。
そういうのぼーっと1人で見てると、
世の中は何事も真っ直ぐ分け隔てなく
ただただ進んでいるような気がする。
私だけがお化けになっちゃったり、
みんなをお化けにしちゃったり、
そういうのも別に良いとか悪いとか
なくなる。
動物が絶滅しちゃうことを憂いながら
いなくなった動物の数を数えてる人間だって
いつか死ぬし、みんな死ぬし、絶対になくならないことなんてひとつも無いし、あの大勢の知らない人達も1人残らず死ぬ。
武器や倫理や感情ができただけで人間だってこの海と一緒に満ちて引いていなくなるただの生き物にしか過ぎなかったと思う。
戦争だったり平和だったり、
偉そうな人が偉そうに怒ったり、
声が大きい人が強かったり、
理不尽なことできる人が強かったり、
そういうのも別にもう良いとか悪いとか、
悲しいとか苦しいとか
思うよりずっと遠くで、
世界から見つからないところで
見つめてるような気すらする、海にいると。
だからって自分の悩みがちっぽけなものだと思うことは無いけど、どうせ死ぬという気持ちが強くなってくれるから諦めになってくれる。
色んなことを諦めて、諦念の果てにきれいな海があればいいなと思う。それだけあればいい。
〜間〜
全部がきちんと動いて、
全部が必ず終わります。
人の波も、海の波も、心の波も
ぜんぶ流れて動いて形を変えながら
ぜんぶ終わる。
そう思い出すとあんまり人とか
思い出とか気持ちに執着しなくなったな。
執着は醜いし、希望はいつも残酷で、
ものは見にくい方が良い。
ありありと見えるものより、遠くで輝く光を
ぼんやり虹彩に落とし込むくらいでいい。
諦念はいつも薄明るい。
一生来ない夜明けのような顔をしている。
海を見る時、少しメガネを外すのはそういう思いがあるからなのかもしれないな〜。
みんな、幸せに生きててほしい。
私とは遠く離れた所から光っていてほしい。