あたま日記

小学生の落書き帳みたいな気持ちです。

赤ちゃんアリストテレス

最近夜泣きがある。

子供の話じゃない。自分が……
私が……夜、泣いています……
22歳で身寄りなくて友達いなくてお金なくて
資格も特技も優しさも家も無いからかな?


今日の夜泣きはちょっと今までと違ったので
書き残そうと思って、今泣いた後に書いてます。




〜間〜



そもそも私、10代半ば過ぎてからずっと
泣いて眠れなかったり朝になったりしている。

不眠症と言えばそうかもしれないけど眠剤
飲むと記憶がバラバラになるのでやめた。


本当に辛くて苦しくて厳しくて悲しくて、頭の中に悩み事が羅列されるせいでどんどん涙が外に押し出される。歯ぎしりしながら泣いていた。


枕なんかぐちゃぐちゃで、目の下は真っ赤。
舌を噛むから血の味がすることもあった。


ただ今日、ひとつそこに光明があった。
夜泣き後の今朝6時10分、必死に書き残して
いるのはその為です。




〜間〜



例のごとく今夜(?)もまた横になった4時頃、
漠然でクソデカくてどうしようもない
言い表せない不安と焦燥感と辛さと悲しさの
ミックスベジタブルが脳いっぱいに襲ってきた。

余談ですが、釈迦はこの世が生老病死の苦しみの
世界であることに悩んで出家したらしいですね。
すごいデカい規模の悩み、マジでかわいそう。


でも私には私のお悩み。
人には人の、乳酸菌。

目から音もなく熱が零れて、
そこからは早かった。嗚咽と啜りと胃痛。
泣く前の胃痛はいつもよりキリリとしている。

同居人に気付かれないようキッチンの端っこに
こぢんまりと収まる(たまに御手洗)。
誰も見た事ないくらいちっちゃくなって、
これでもかとくちゃくちゃに布を抱き締める。

気を紛らわせる為に、
「言い表せない感情ミックスベジタブル」の
中身を当ててくゲームをする。

木の枝を辿って幹へと悩みを辿っていくと
幹には必ず「私が私である以上駄目」と
書かれている。そんなこと言うなよな。


私が私である以上、
この苦しみこの辛さから逃れられない。
一般的に言われる普通の幸福は手に入らないし
望んでもいけない。


エネルゲイア的行為が幸福への手立てなら、
そのエネルゲイアにすら罪悪感を覚えるのは
そういう訳なのか〜……(※)

聞きかじった話をぼんやり涙と一緒に浮かべる。
解決しない。疲れる。
ただ時間が過ぎて、足が冷える。

泣き疲れて完全に朝。無駄な時間。



今までずっとそうだった。


(関係ないんですけど、私って生涯ずっとこうやって全ての悲しみや苦しみを私のせいにしてやってっちゃうんですかね?やだねえ)


ただ今夜の夜泣きは良い夜泣きだったと思う。


いきなり木の幹を見るんじゃなくて、
ゆっくり葉の1枚、枝の1本、幹、そして最後に
根元を見た。全部分かった。分かりました。


ただ苦痛と隣り合わせで生きて死ねって、
全部自分のせいにしてでしか飲み込めないって、
こんな風に思いたくなかったけどそう思うしか
現実に納得がいかなかったので仕方ないね。
思いたくなかったね、仕方ないね。
悲しいね、仕方ないね。
仕方ないことだね、仕方ないね。


根元には「仕方ないね」といっぱいあって、
そのうち9割以上が諦め、諦念、疲れ果てたもの
だったけど、ほんの少しだけ確かに「自分への許し」があったと思う。認めているような気がした。
(自分の感情なのに自分で把握できない、自信が
もてないので気のせいかもしれないけど……)


そう思って泣いていたら普通に気持ちが
静まって、木の傍で頷いて立ち去ることが出来た。
勿論物理的にもきちんとお布団に戻ってこれた。


泣くことは絶対悪で非生産的な行為だと
思っていたけどそうでも無いのかもな〜と
思った。

(少なくとも泣くことでお気持ち整理する習慣が
あったので、悩みを整理した上で己で焚書にして
心に火傷を負うのではなく、認めてあげることに
繋がったので結果的に「泣いた→良くなった!」
ってだけかもしれない。)




〜おわりに〜



泣くと目が腫れるし、眠らないと顔が浮腫んで
10人中8人が妖怪と見紛う顔になってしまう
(残り2人は妖怪だ)ので困ってはいる。


でも初めて気持ちの整理として使えたので
これからも耐えられなかったら
ガンガン夜泣き、していこうと思いました。


(※エネルゲイアの話はアリストテレス
''形而上学''、θの6章で書いてあります、
短くて面白い。)

電車乗ったが?空〜

このままなぁなぁで過ごしていくのかな〜

今日の空みたいに晴れでも雨でもないし
どんよりでもない微妙な雲みたいに、
途切れ途切れの光に希望を見出して生きてくのかな


そう思うことってないですか?
私はね、今しがたありました。


わたしってこのまま大卒手放して
大した資格なくてお金もスキルも容姿もなくて
何してくんだろうな
料理出来てもどうにもならんしな……
(クソでかい鬱病の塊をここで破壊!破壊!破壊!破壊!破壊!破壊!!!!!!!!)




〜間〜



大人になったのに中学生の教室を繰り返す。

電車の座席に座る時、同行者の傍によるのは
別に好きだからとか甘えんぼキャラとかじゃ
なくて見ず知らずの他人が怖いんだよな〜
そもそも密閉空間の他人、怖すぎる。
息が詰まる。


握りこぶしを作ってたらTwitterが出来ないから
握りこぶしをやめたら白い手がもっとずっと
白くなっていた。短い爪でも十分跡がついた。
このまま透明になったら今よりマシなのかな。

自分のことを透明人間のようだなと思う時がある。お化けみたいだな。
顔色も悪いし。




〜間〜



友達いない、というより全部と大体仲良くなって
たまになれない人いるけど別に元より仲良く
なりたいと思って過ごしてないから問題なくて、
みんな「知り合い」ってことばっかりある。

趣味の幅が広いのが良い事だと思わない、
全然しんどい。どこにも顔は出せるのに
どこにも属せない、みんな帰属できるのに。


帰属する実家もない、金もスキルもどころか
単純に身よりもない。

なんにでもあって、なんでもない、
東京のキャッチコピーみたいなのが私か〜
(東京のそれは完全に傲慢と偏見だと思うが……)


それなりに人と話せてコミュニティに顔だして
それなりにやってくだけ、なあなあなあなあに
やっていくだけ。どこにも居場所はない。
狂人にもなりきれない。
酷い絶望も強い希望もない。
あるのはミフィと祈りと携帯と財布だけ。


ただのっぺりと、絶望も希望も一緒くたに
ただのっぺりとしたあの田舎町のような心象に
なってしまったな〜と思う。


激しい拒絶も無ければ強い欲求もないな、
ただぼんやりと薄暗い雲の中にふよふよ
漂っています。ただ漂っています。

寒い!本読んだ、犬の糞

ン〜〜〜〜〜〜〜!!オモチをいじめる。


私は最近引っ越して
毎日ご飯を食べられてるし、
毎日ぐっすり寝ているし、Twitterの人に
「つまんなくなった?てか人生つまんない?」と
聞かれた。体重が増えた。洋服を買った。


それでもまだ眠れなかったり悪夢見たり
吐いたりしてるけど多分なんか、
なんかまあ、死ぬまでには治ると思う。


それはそれとして偏見のない全く純粋なものは
痛みだけなので己の痛みを信じろという気持ちが
常にあります。



〜間〜


人生にまつわるありとあらゆることが
小説や音楽や漫画や絵画や
居酒屋や教室の隅や海や車で
語り尽くされることは、絶対にない。

語り尽くされないから、ありとあらゆる
「何か」を手探ったりぶん投げたりして
人生を継続していく。


ちなみにこの世界は箱庭じゃない、壁もない、
天井もない、何も無いただただ存在しているから、
だから、辛く厳しい。





〜間〜



最近めっきり寒くなった。

体調が悪くなるのを感じるし、
動けなくてずっと小さくなって布団に入って
1日過ごしたりもした。冬じゃなくてもしてる。
しかもまだ冬ですらない。本当に辛くて厳しい。


実家に不可抗力で残してきた大事な荷物は
まだあるんだろうか。
実家のことを想像するだけで心臓が
130BPMで動き出して、耳元で血流の音が
ゴーッゴーッ鳴り響いて、肋骨が軋む。
ついでに腰痛もある。


ああいやだ、やってられない、ああいやだ
(詠み人知らず)




〜間〜




やり切れない気持ちがあるのは単純明快な理由が
あって、人生は単純でも簡単でもないからです。


でも、そもそも人生自体はなんでもないと思う。

ただあるだけで、ただ生きてるだけの自分に
極論何があるとか何が無いとかはない。
ただ死に向かっている(生きていることは死ぬことなので)。


ただ「存在する」だけの人生に対して頭を垂れたり
泣き言や諌言を呈したりするのは犬の糞より
役に立たない。
痛みがノーバイアスの純粋なものだとしたら、
人生考察ほどバイアスだらけのものはない。


畳んでない洗濯物がハンガーに着られていることも
眠気があったりなかったりすることも
更新されなくなったТLを無限に上下する指も


ただあるもの、ただ一切があるだけだ。


そういった意味では今日もやり切ったと思う。

はぇ〜、死……

今死ぬか、早く死ぬかの2択しかない。


なんにせよ最後は生きとし生けるもの皆死ぬので
と思ってしまう。


みな死ぬので、だから今できることをしようと
思う時と、
みな死ぬので、今すぐ死のうと思う時がある。


交互に死と生が私のことを追い詰める。
実はみんな追い詰められている。
どう思うか、どう感ずるかの違いだけで、
たったその一筋の、一線の、1戦の違いだけで
死ぬ人と、死ななかった人がいる。





〜今日のブログはみじかい!〜


ただ今日は私は死ななかった。

私のバイト先の人も死ななかった。

私の身の回りの人間も、死ななかった。


ただそれだけで、
案外死んだり、死ななかったりするだけで、
私もお前もあなたもあの子も知らん人も
生きている。


こんな事に感傷を抱いたり、
こんな事を鑑賞したりするほど、
人生は暇では無いはずだな〜とも思うけど
いかんせん悲哀と限りなく絶望に近い何かは
私にそう思わせる。


どうせ死ぬから、と言うのをやめなよと言われて
初めて「どうせ死ぬから」に希望を見いだしてる
ことが分かった。


私はそこに頼るしかなかったので……(終わり)


なんにせよ今指をすべらすこの携帯も、
これを見ている人間も、
私が飼ってるかわいくってあまえんぼのうさぎも、
私が関わる全ての人間も、
必ず死ぬ。

ただその事実だけが横たわっていることは、
厭世主義やニヒリズムでないことは確かだと思う。


だったらなんなの?って聞く人はいるけど、
お前も死ぬよと思う。



戦争のニュースをよく見るが、
見る度に「死ぬんよね」と思う。



お前もあなたもわたしも君も死ぬよ、
全員死ぬ、だから大丈夫。


そう思う時が度々ある。


ただ今日も私は死ななかった。それだけと思う。

透き通っていく場所

年老いたのかなと思うことが増えた。
歳を取れば取るだけ透き通っていく場所は
どこなのかなとも思う。


10代半ばの棘のような鋭さも、
10代後半の茨のような鋭さも、
20代半ばを前にして随分変わってしまった。


若さはいつも見苦しい。

それよりもっと見苦しいことは沢山ある。
許しを願ってひとり縮こまっている惨めさ
なんか、どう言ったってしょうがない。

しょうがないな、と思える時、
歳をとったなと思う。




〜間〜




こうであれ、と自分に課していた姿が
大分曖昧になってしまった。

正しくあれ、信念を持て。
魂の美しさを手放すな。
祈り続けろ。


他者をさいなめ、己を追い詰める。
どう刺し違えても私の祈りは決して
止むことはない。こうでしか生きられない。

お前が悪いか、私が悪いかの2択の中で
ただ許してほしいと祈り続けていく。



私が悪い、だから許してほしい。

本当はもっとずっと許せないことがあるのに。



深夜にどうしようもない気持ち(許されたいし許したくないし、憎みたいのに憎めない時)に
走り回った海岸があるんだけど、
そこを今同じように走ったらきっと足がもつれて
転んでしまうだろうな〜。



〜間〜



絶えず形を変えて残り続けるこの怒りにもよく似た祈りを、痛々しい幸福を、歯ぎしりの間の休息を、これから先どこまで続けられるんだろう。


これから後何年生きて、
何回刺し違えて、
何十回何百回と失って、
本当に大切なものだけ、必要なものだけが
残る時を迎えるんだろう。

何かの傍にいられるんだろうか。
自分は自分を手放さず、許さずとも
殺さずにいられるんだろうか。

透明人間になりたくないな。


ただまあ、考えててもしょうがないな〜


そう思えるようになったのは、棘が抜け落ちて
何か柔らかい丸い穴でも空いたからだと今は
思っている。

ミス!私は鏡や!寝ぼけ

( ※ミスiDについての話ですが、
例に漏れず私の言葉なので分からない人は
分からないだろうし、分かる人は分かるだろうし、
ふわっと聞いてくれたらと思います。)

私は鏡になれたかも知れない。
そう思った。


その前にミスiDについて説明する。


ミスiDというアイドルオーディションがある。


講談社主催のもので、2012年から始まった。
開始当初「iD」は「アイドル」の意味であったが、
2016年以降「アイデンティティ」と「アイドル」「i」(私)と「Diversity」(多様性)を表すと再定義されている。


今回、私は推薦をいただいた。
インターネットで顔出ししたことは一回もない。
特別何かの活動を売ってもいないし、
人生を売りにしていることもない。
その私に推薦が来た。

推薦理由は不明だったけど、面白そうだと思って
応募をした。ミスiDについてはこの時知った。


やった事無いことをやりたいと思って
今までも部屋中風船だらけにしたり、
自分の誕生日以外の日を祝ったり、
ケーキを踏み潰したり、
ぬいぐるみ30人くらい連れて海に行ったり、
色々やってきている。


そのうちの1つとして、
やってみようと思った。


しかし、他のミスiD応募者のツイートを
目にするようになって、
明確な参加意志と、
今まで知らなかった故に
また今現在も含めて宣伝方法も知らなければ
どういったアピールをすればいいかも
分からなかった自分を悔やんでいる。


なぜなら、私はミスiDの掲げる理念に
相応しいような気がしたからだ。



〜間〜



ハッシュタグで検索をかける。
出てくる出てくる、無数の女の子。

他参加者の自己紹介欄や所属を見る。
モデル、写真家、ライター、歌手…………

私だけ、ただの名前のフリガナだ。


みんな、様々な表現者であって、
様々なジャンルで活動している。
(もちろん人はみんな生きてる以上何かを
表現しているので広義で言えば私も「表現者」に
なりうると思うのですが……)


私もミスiDの宣伝ツイートに何か書こうと
思った。自己紹介に何か書こうと思った。


けど出来なかった。
適当に自分の一部分を取り出して書いた。


私にはあまりに要素が多い。
「私はこれです!」と言いきれるほどのことが
何一つ無かった。


良くも悪くも私の外部内部は多様性で溢れていた。


ほかの女の子達は明瞭に自分の居場所を
掴んでいる、生み出している、述べている。
「私ってこんな女の子なんだよ」と
言えることは本当に素晴らしいことだと思う。


帰属する場所を作り出すことは本当に
尊くて、かっこよくて、すごい!

それは花弁に光る水滴。
それは水面に落ちる夕日。
それは鋭く尖った輝き。
みんな本当にすごかった。
(2度目ですが、推薦されるまでミスiDを
知らなかった)


「私って自分が何だか分かってない女の子なんだよ」って人もいたけど、それも1つの所属だ。


女の子たちはみんな、何かにきちんと帰属して、
今ミスiDというオーディションで活躍している。

かっこいいぜ、と思った。
と同時に、私は……?と考えた。




〜間〜




私はというと、
歌ったり引きこもったり、

ふわふわのロリータ着たり、
真っ黒オタク服だったり、

DV家庭でおしまいになったり、
愛する者と尊い時間を過ごしたり、

ギター弾いたり絵を描いたり、
刺青あるけどパンケーキ焼いたり。


そのどれもこれも評価してもらう場面が
あったし、どれもこれも人から褒めてもらう
場面も、商売になった場面もあった。

それでもなんだかずっと分からない。

自分が誰だか分からないとかではない。
言語化が難しい。


私って歌手でもない、モデルでもない、
写真家でもない、画家でもない、
好きなことを色々やっていただけで
私は私以上にも以下にもなれない。


私が私である以上、何かに属することはない。


悩んでいたけど、気付いた。
これって、ミスiDが、そして全ての女の子が、
色んなかわいいを持っていることを映し出す
とびきりの「鏡」なんじゃないかと。


何でもなくて、何でもある私の全身は
鏡で出来ている。


砂糖菓子みたいに甘い女の子、
氷砂糖みたいに静謐な女の子、
進学校で悩んでる女の子、
障害者手帳2級の女の子、
ロリータで微笑んでる女の子、
週末ディズニー家族でばくわらの女の子、
お母さんに死ねって言われた女の子、
お父さんに犯された女の子、
絵を描いてる女の子、
ギターが子供の女の子、
ピンクハウスの女の子、
しまむらの女の子、
友達がいない女の子、
限界飲みよいちょ丸の女の子、


どんな女の子でも映し出せる。
なぜなら私はどんな要素でも持っているから
反射しない女の子はいない。私は鏡だった。


夢想する。

鏡の私が配信すると、
閲覧者が私の体に反射して、
自分の名前やアイコンを見ることになる。

その時、閲覧者が私に映った自分を見て
「自分はかわいい」って
思ってもらえたらどれだけ嬉しいか。

鏡を見て、みんな、みんなみんな
「私はかわいい」って思って欲しい。


そう思わせたかった。
だって、タグ検索かけて見た女の子たちは
みんなキラキラしていて、
ひとりひとり素敵なビーズだった。

ティファニーカルティエ
敵わない、素敵なビーズだった。



〜間〜


オーディションは誰か1人に何か1つの賞を
渡す、「選別」であるのは確かなのだが、
私は鏡だからみんなのこと映して、
みんなかわいいよって思ってもらいたい。

女の子が各々それぞれ心の中で、
そして心から、自分のことをかわいいと
思えたら、そんなに無敵なことは無いな!

鏡の私はそう思う。



今朝寝起きで鏡みたら、相変わらずぼんやり
した顔の自分が立っていたので、笑いました。
寝ぼけた眼で、今日も生活を繰り返します。
みんなもお元気で……

夢、草原、そして祈り

言葉が無かったら繋げたはずの手を
後悔してると伝える為に言葉があるのかな。

それなら両腕で自分の体を強く抱きしめて、
もう二度とこの先無い気持ちを確かめるだろうな。


ひん曲がったスプーン。割れたガラス。
落ちている片方の子供靴。穴の空いたバケツ。
汚れた名札シール。ほつれたバスタオル。
使わない便箋。道端のプルタブ。
夕焼けのコンクリ。



そういうのと並んでも違和感が無いぜ。




〜間〜



毎晩よく分からない悪夢にうなされています。


手にしたものが全てこぼれ落ちる夢。
生々しい描写と、トーンと、人物。

全ての現実が夢に侵食している。

夢と現実がひっくり返っちゃわないように
なるべく優しく、なるべくゆっくり、
2つのシーソーの間で右往左往してバランスを
取っている感覚がずっとある。

ハワ〜!!転ばないで!ハナチャン!!



結局私が私である以上駄目なのか、と思う。
私である以上、何もかも許されない。
何をしてもどうにもならない。

誰かどうか許して、誰かどうか、と思うけど、
その許しを与えるべき人物は1人しかいない。


私自身ですね。


私が私を許さない限り、「私が私である以上、
何もかも理不尽で何もかも失う」し、それを
私は仕方ないとかどうしようも無かったとか
諦め続けないといけない。


でも許すって何を。


なにか大きな罪を犯したんだとしたら、
それはもうこの命の他ならない。


自ら死ぬのが恐ろしくて延命してるに過ぎない。

今もし友人や、愛する何かが死んだら、
こんなこと言えた話ではないのに……と
ビクビクしながら文字を打ってる。


早く許せるようになりたい。
なるぞ。



〜間〜



例えば人は、遠くに見える草原。

風になびいたり、揺れたり、絡まったりして。
たまにどこかに光が当たって輝いたり、
静謐な影が淑やかに顔を出したりしている。

それを私は草原のどこかに立って、見てる。

皆の根を、息づく草花を、ただ、見てる。


私も触れたいと思う右手を、
お前はダメだよと左手が止める。


だからただ見て、祈ってる。


このままでいいから、これ以上何も起きず
ただ穏やかに草原が続いて、知らない間に
自分は事切れて養分にでもなってほしい。

触りだしたらもう戻れない。

触って、繋いで、確かめて、
言葉より悪夢より大切な現実を通して、
それでもなお私は変わらず祈り続けられるのかな。
いつしか私も私に祈れるようになるのかな。

その日が来るのを待ち遠しく思ってる。