あたま日記

小学生の落書き帳みたいな気持ちです。

無い話だーいすき!

無い話ばかりしている。

無い漫画の感想、無い映画の感想、
果ては無い知り合いや無い友達。

インターネットで嘯かれるものとは違って
きちんと無いです、と宣言してから話している。

だってないから。

無くて、たのしい。




〜間〜


無い話をしだしたのはいつになったのか
あまり分かっていない。

そもそも私にはずっと無い友達がいて、
その友達、というかほぼ一緒にいたので
便宜上同居人と呼んでいるが、彼ないし彼女は
みんなが言うお友達の話(ある)となんら
変わりがないものだった。


相違点は無いという自覚の有無だけだった。


無い同居人は私のことを詰ったり、応援したり
しながらいつでも助けてくれていたし、
いなくなった今でも大事な思い出だ。


そんなことがあってからなのか、
ある前からか、分からないけど
ずーっと無い話が頭の中いっぱいにある。




〜間〜



無い漫画の感想や無い映画の感想をたまに呟く。
その時かなり脳内のキャパが減っている。

自分の頭の中で勝手に物語ができて、
どんどん進んでいって、
最終回まで迎えていく沢山の「無い話」たち。


アウトプットしないと気が狂う。


そうしてどんどん無い話ばかりが積もっていき、
たまに吐き出したりしてなんとかかんとか
20年間くらい生きてきたわけだが、
最近はそろそろ何もかもきちんと「無い」に
戻って欲しいと思う。



私の「無い話」というのは、もうその時点で既に
「私の中ではある話」になっている。

けど現実ではしっかり「無い」ので、この乖離を
いかに縮めたり、無視したり、咀嚼したりが
非常に問われることになる。


この埋め合わせが非常似つかれる。
だったら最初から無かったら良いのだ。


無かったら良いのだが、あるので……。
私の中ではしっかりあって、
なんなら物語は続いていくし、
終わったものも終わったとして心に残り続けるし、
果てしなく私の容量を消費していく。


早く無い話が完全に無くなってしまえば良いのに、
と思う。



〜間〜


ただ、全てが無くなった時、それは
果たして私と言えるのだろうかと思う。

私が私たる所以、私を私たらしめる所以が
こういった数多の、多岐にわたる、
むちゃくちゃな、果てしない、乱雑な
無い話に1部でも収束しているなら
無い話は続けたくなくても続くだろうし、
続けていく他ないような気がする。


誰にも分かられないような話だけれど、
確かにそこに存在していて、存在しない。


そういう「無い話」をいっぱいしていくことで
自分が確かに「ある」とするなら、
無い話メーカーの私も悪くないのかなぁ。



これも無い話なんですけどね。あるんですけど。