あたま日記

小学生の落書き帳みたいな気持ちです。

好きと絶望といつか買う花束

なんでみんなすぐ忘れちゃうんだろうって
たまに悲しくなるけど、
人間は昨日好きだったものを
明日嫌いになるものだって思って、諦めた。


全部諦めることで解決してきたし、
これからもなんとなく諦めてしまうのかな〜。




〜間〜



案外長く何かを思う人は少ないみたいで、
その善し悪しはつかないし、
つけるべきではないと思うし、
好きにすれば良いと思う。それもきっと大切。


昨日愛したものを今日嫌ってもそれはそう。
そうだったんだという事実と、
そうであるという事実しかないから。


だけどどうしても、
自分へと向けられた好意の反転あるいは
嫌悪、忘却を思うと悲しくなる時がある。


嫌われるのはかなしい。
忘れられるのはうれしくない。


昨日私のことを好きだと言った人が
明日私のことを嫌いだと唾を吐く。

もしそうなったらそれはそれでいいのに、
でもやっぱり悲しい。

そもそも好かれるような人間では無いのに、
と思うと尚のこと悲しい。
(別に誰かから言われたわけではないのですが……
ただただ孤独に蝕まれて時たま思うだけです。)
(もしかしてこれ、めちゃくちゃな被害妄想か?
統失かもしれません……思考が盗聴されたら病院に
行こうと思います。)



昔、どうして、とごめんなさいを返事のない
部屋の空間に向かって泣いて呟いてた。
今でも本当にごく稀にこういった心情に陥る。



〜間〜



嘯く声が聞こえる。諦めちゃおうよ。
こうやって悲しくて苦しい時は諦めるに限るよ。


ハナチャンはね、そういう運命なんだよ。
人のことを愛すのは勝手だけど
人に愛されたいなんて高望みだよ。
無理な話なんだよ。

もうやめようね好きとか嫌いとか
そういうのに関わっちゃだめだよ。
関われるほどの人間じゃなかったんだよ。

お前なんてそんなもんだよ。
普通じゃないんだって。
仕方ないよね。
諦めようね、ハナチャン


丁寧に諦念で蓋をして
諦めて、諦めて、何重にもフィルターを
通してぼやけた絶望をなるべく
見ないようにお花を世話してきた。


いろんなことがあって、
色んなふうに諦めてきて、
もうこれでいいやと長く思っていたから
たまに足元がぐらついてしまう。


でも私諦念を横目にいつか本当に綺麗な海で
いちばん綺麗な花束を抱えて
誰かに心から手渡したいんですよ。
混じり気のない気持ちで
愛したり愛されたりしたいんですよ。

お前にはダメだよ無理だよって思いたくないよ。
祈っても祈らなくても平気になりたいよ。

だから私、私のこと幸せにしたいと思うよ。
愛情も嬉しい!って言って貰うよ。
好意だって怯えないよ。好きって怖くないよ。


〜間〜


諦めないようにするのは難しいなあと思った。

諦めたらそれはインスタントな解放。
そこにあるのはお手軽地獄。

そっちに流れ込むのは本当に簡単だったし、
はち切れそうな穏やかさで笑ってるのは
楽ちんなことだったし、黒い泥濘から
浮き上がるのは難しくて当然だった。


頑張って乗り越えたいな〜と思う。

今までなんとなくで育て上げてしまった
大きくて強い絶望との対峙とか、
明日の食器洗いとか。