あたま日記

小学生の落書き帳みたいな気持ちです。

貯金、お友達、お部屋のお花

貯金がそこそこ貯まった。
バイトを色々いっぱいした。
そのへんに転がってる程度の額だけど、嬉しかった。

家に入れるお金、学費、あと生活にかかるお金、
差し引いてようやくこんなに貯まったんだな〜
と思った。





〜間〜



お家の人は私に
早く家を出ろ!とも言うし、
一人暮らしなんかするな!とも言う。

巧妙に交友関係から経済地盤を掌握されていて、
その他も束縛が強いような行動様式をとるので
あまり自由が効かない毎日だった。


成人した今でも色々、家に閉じ込められたり
家から追い出されたり、暴力暴言パラダイス
を繰り返されていて、とっても嬉しくない。



親の言うことはいつも二律背反で、
ダブルバインドで、
聞けば聞くほど私はぺっちゃんこになる。
思えば思うほど左右に引き千切られる。


どっちが本当なのか分からなかった。


誰も見た事ないくらい小さく丸まって、
ベッドのうえでもう許してくださいごめんなさい。
何度も何度も泣いた。許しなんか無いのにね。


誰もいない部屋のベッドで革命を起こしても
毎日はあまり良くならなくて、
良くならないまま大人になった。


だからずっとずっと頑張って、
ずーっとずーーーっと諦めることにした。


あんまり苦しくてしんどくてやっていけなくて、
真っ直ぐな苦痛と向き合ってたら頭がちょっと
おかしくなってしまった。


その時の私はかなりまずかった。
今生きてるのがラッキーなくらいまずかった。


だからもう、変な期待とか、希望とか、
欲しいものとか、夢とか、こうなりたいとか、
きっとこうなってくれるんじゃないかとか、
そういうの全部思いたくなくなった。

殴られたら痛いとか、死ねとか売女とか
お前は愛せないとか言われたら辛いとか、
私の洗濯物だけ洗わせてもらえなかったとか、
残飯漁って食べなきゃいけないとか、
火傷とか、痣とか、
そういうのも全部見てられなかった。


諦めるしかなかった。


無かったことにも出来ないし、
ただ「ああそうなんだね」って認めて、
そのまま、そっかそっか、仕方ないよね、と
頷いて下向いて、コンクリートの汚れにばかり
詳しくなっていった。




〜間〜




その日は何回目かのお誕生日だった。


私はよく本当の出生日以外でもお誕生日祝いを
自分にしているので、本物のお誕生日はちょっと
恥ずかしいし、実はちょっと怖い。


産み育てた親にですら死ねと言われる私が、
生まれておめでとうなんて、そんなこと
あるのかな、ないのかな、あったらいいな、
いいななんて思ったら駄目だな、
諦めて、諦めてハナチャン、諦めて。
ほらもうやめて、諦めて。


けど何回目かのお誕生日はもう、本当にもう
諦めたくなくなった。


歳をとって、色んな人と出会って、
大学のお友達は優しくて、
出会う人達は本当に優しくて、
私のことを愛してるよと言ってくれて、
もう私誰のこともなんのことも頷いて遠くで
見ていたくなくなった。

近寄って、触れて、撫でて、抱きしめて、
自分のことを幸せにして、
純粋な気持ちでありがとうとかごめんねとかを
言いたくなった。


諦めたくなくなった。


部屋に置いてる植物に水をあげた。
小さい多肉植物は、何にも言わないでいてくれた。
私も何も言わないけれど、10年以上の積み重ねで
出来上がった諦念を前に、負けないぞと思った。




〜間〜


でもやっぱり負けちゃいそうだった。
本当に本当に苦しくって、
ずっとこっそり悲しくって、
やめちゃいたくなっている自分がすぐ近くにいる。

もしかして諦めないぞ!っていうのもただ
誤魔化していただけだったのかな〜とも思った。

きっと本当に私は頑張るって思っていたのに、
私自身のことですら信用ならない。
自信を持って自分のことをお話できない。


預金額をぼんやり眺めながら、
お金があっても、
お料理ができても、
人に意地悪しなくても、
前向きになっても、頑張っていても、

私が私である以上駄目なのかもなあ。

それは仕方がないことなのかな。
もう本当に、
ここまで来たらそう認めるしかないのかなあ。

そう思った。

そうじゃないといいな。
だめだよハナチャンそんなまた期待を。
どうしたらいいのかな、
終わらないのかな、とも思った。

お部屋のお花は、何も言わない。