あたま日記

小学生の落書き帳みたいな気持ちです。

みかんの花と接ぎ木の話

お花が好きだ。
前のブログにも、その前にも、ずっと前にも、
ずーっと言ってる。お花、好きだー!ありがとう。

ありがとうとか、ごめんねとか、なくて、
何にもなくて、ただそこにいる。

シンプルな命の形をこんなに綺麗に強かに
厳かに何年も何百年も繰り返し表している。
いいな、お花。好きだー!



〜間〜


みかんの花を見つけた。わあい。いいにおい。

みかんの花は5月に3cmほどの花径の、
小さくて肉厚な5枚の花弁の白い花をつけて、
そこから夏に向けて果実をつける。


余談だけれど、最近、見つけたお花が
何かを調べることにはまっている。

今まであまり花の名前は意識的に調べてこなかったが、どこから来て、どんな風に育って、どうやって次世代に行くのか、そういう未来へのことに目が向けられるようになったからなのかもしれない。



みかんは単為結果性の植物らしい。

単為結果性というのは、植物が受粉せずとも果実を結ぶことだ。


単為結果性でなおかつ自家不和合性らしい。

自家不和合性というのは、植物が同じ個体の雌雄で受粉しないようにする仕組みのことをいう。


そのためみかんの果実にはほとんど種子はない
(でも食べるとたまにあるよね。近くに甘夏などの他の植物があって受粉した場合や晩生品種になると種ありが出来ると聞いた)。



〜間〜



この自家不和合性という仕組み、
英語でself-incompatibility(自己非互換性)という。

被子植物が地球上に沢山広まるための、
また自家生殖を防いで新しい遺伝子を残す為の、
賢い生きる手段だ。すごい。

地球上の半分の被子植物が自家不和合性らしい。

先程の説明をもっと詳しく言うと、
(🍊マークまで読み飛ばして良い)
同一ないし類似の遺伝子型の個体が正常に成長した場合、柱頭に花粉が到達しても、つまり受粉しようとしても
・花粉の発芽
・花粉管の伸長
・胚珠の受精
・受精胚の生育
といった受粉に必要なプロセスのどこかが停止し、結果として種子が形成されないことを自家不和合性という。(🍊)

このよく出来た自家不和合性、雌蕊(めしべ)と花粉との間の自己認識作用によって起こる。
これは私かな?私じゃないかな?って分類してるわけだ。

その自己認識は科によってことなる。
(例えば柱頭上だったらアブラナ科・キク科、花柱内ならナス科・バラ科マメ科、子房内ならアカシア・シャクナゲ・カカオ)


ちゃんと自分が何者か、自分がどれか、
個体としての自分を植物は分かっているんだな、
と思った。自分が何か分かってる。すごい。



〜間〜


そんな風に「自分ってこれだな」と、
自分を認識できている植物、みかん。

みかんの増やし方は、日本では主に接ぎ木だ。
ユズなどの他の柑橘類に接ぎ木することもある。

自己認識ができるみかん、ユズに接ぎ木。
みかんはどう思ってるのかな。

もし人間だったら、全く違う人種の人の腕とか胴体を貰ったような感じなのかな。どんな気持ちなのかな。朝起きたら自分の頭が知らない人の体にくっついてたら、私ってどう思うのかな。


けどみかんは人間じゃないし、
私もみかんじゃないし、
そんなこと互いに知ったこっちゃないのだ。
ガッハッハ。元気に育てよ、みかん。


お花は大好きだけど、
苦しいとか苦しくないとか、
どれだけ花弁を愛でても葉を撫でても
お互い一生分からない。


そしたらせめて、同じ人間同士なら、
少なくとも分かり合う手段があるなら、
わかる言葉や体温や動きを使って、
精一杯伝えたいことを伝えたり
聞きたいことを聞いたり
話されたいことを話されたりしたいなと思った。