明日の予定を数えなさい
仕事をした。新しい職場に早半年。
患者さんのお話を聞きながら、お医者さんのお話を聴きながら、ポチポチとぽいぽいとカルテを入力する仕事。患者さんにバカデカい声で案内する仕事。職場の人にエヘヘ〜と言う仕事。たまに褒められたりする。たまにウギーッとなったりする。
めきめきと健康になっていると思う。
久しぶりに会った大学時代の友達に「言い方は悪いかもしれないけど、安定しているよね」と言われた。何が悪いことを、と思ったが、真っ当に考えたらたしかに悪いのかもしれない。実際に''悪い生活''からの脱却を如実に感じている。
朝起きて、働き、お昼ご飯を食べ、吐かず、夕方働き、夜になれば帰宅する。学校とか、職場とか、決まったルーティンに組み込まれている状態はかなり危ういがかなり助かるぜ!と思った。悪い生活とはこの真逆の生活でした。夜嗚咽、朝絶叫、食べ物は食べず、食べても吐き、昼夜問わずに飲酒OD、精神科の床のシミ。
ただ、今までの学生生活/児童生活を振り返るにあたり、これはどこかで破綻するのではなかろうか?という不安がある。続くんだろうか、親や、インスタで見る友達や、他の社会の人たちみたいに、40歳になっても60歳になっても、やってけんだろうか?わかんねーけどやりてー
ともかく今、かなり、おおかた、健康!
とんびちゃん看取るまで絶対死にたくないぜ!って思う。その後は知らない。その後は死ねばいいんじゃないかなと最近思う。
寛解の時期がいちばん辛いと言うが、正にそうだと感じる。
転職前、一時的に精神科にかかった。
頑なに拒まれていたSSRI系の薬で精神状態が一気に好転した。ただしこれが薬効であり、必ずしも自身のパワーオンリーではないことは把握していた。ひとまず跳び箱を飛ぶ前の、飛板(バネ付きの補助)?を用意された状態だった。
しかし効果は凄まじく、あれよあれよと健康に、あれよあれよと正社員。今では立派な社会人。
わたしが狂ってドブに捨て続けた時間の間に、同級生は皆大学を卒業し、就職し、結婚までしている者もいたりして、素晴らしい人たちと思いながら、わたしもようやく素晴らしい欠片を手に入れたのだと思った。しかしこれが一体、辛く苦しい道のりだった。
今の今まで放置していた、子供の自分の部屋を守りたくなってきた。汚いけど大切な自分を優しく守ってやろうと思うようになってしまった。諦めたくなくなって、でももうそういうのはな〜、と思いながら、嫌なことを言われたりされたりすると凄く嫌なきもちになってしまう。
反動なんだろうか。反動だろうがなんだろうが、ムカつくんだよー!こんな自分によー!と思う。かつて大事にしなくて良かったから滞りなく進み、滞りなく進んでいたらドブの中にドンドン沈んで行った自分がいた。いま、自分を大切にしたいという思いが暴走する、正社員化け物の誕生である。
絶対的な暴力が欲しい。絶対的な支配が欲しい。そういうのがあれば諦められたのに、中途半端にみんなの端くれみたくなりかけていて、「言い方は悪いけど安定」してしまって、正しい守り方も正しい大切の仕方も分からない。人間赤ちゃんだ。それで最近は、自分を大切にしたくて、嫌なこと言われたら過剰な反応をしてしまって、人を傷つけたり、面倒をかけたりしている。暴走暴力家庭は素晴らしいものに思える。私が嫌って言ったら、殴って欲しい。
最近友達が死んだ。また。
何なんだ。バカがよ。なぜ。意味がわかんないよー。やり切ったな。偉かったね。置いてかないでー。あの時のお話の続きは?泊まろうよまた。ベットカバー買いに行こうよ。傷の手当ありがとう。色々思う。
私は死んでない。まだ死んでない。
ガハハ、これだけで丸儲けというなら本当に早く死なせて欲しい。
寛解の時期がいちばん辛いというが、もしこれが寛解ではなく一時的な躁だとしたら恐ろしい。寛解でも怖い。精神科には通っていない。1ヶ月低用量のSSRIで良くなったと思った。薬のせいか?それとも俺のせいなのか?私が私である以上、越えられない柵がある。柵の向こうに緑緑しい皆様の綺麗なお庭がある。
友達は最後どう思っていたのかそんなことは全く分からないが、やり遂げた人の死に対して尊敬の念を持っている。そのうえで寂しいし辛いし悲しい。それとは全く別のところで、私は私の死を大切にしたい。
その為に、とんびを健康に育て切り、愛しきり、仕事をし、ぐうぐう眠り、たまに吐いたり眠れなかったりしながら、なんとかやらないとという強迫観念と追いかけっこをし続けよう。私はそう思う化け物だった。
明日は休日出勤なのでそれを生き抜く為の楽しみに眠ろうと思う。ポルナレフ(ジョジョの奇妙な冒険のキャラクター、とてもかっこいい)より辛い思いはしないだろうしな。
明日の予定を数えなさい
仕事をした。新しい職場に早半年。
患者さんのお話を聞きながら、お医者さんのお話を聴きながら、ポチポチとぽいぽいとカルテを入力する仕事。患者さんにバカデカい声で案内する仕事。職場の人にエヘヘ〜と言う仕事。たまに褒められたりする。たまにウギーッとなったりする。
めきめきと健康になっていると思う。
久しぶりに会った大学時代の友達に「言い方は悪いかもしれないけど、安定しているよね」と言われた。何が悪いことを、と思ったが、真っ当に考えたらたしかに悪いのかもしれない。実際に''悪い生活''からの脱却を如実に感じている。
朝起きて、働き、お昼ご飯を食べ、吐かず、夕方働き、夜になれば帰宅する。学校とか、職場とか、決まったルーティンに組み込まれている状態はかなり危ういがかなり助かるぜ!と思った。悪い生活とはこの真逆の生活でした。夜嗚咽、朝絶叫、食べ物は食べず、食べても吐き、昼夜問わずに飲酒OD、精神科の床のシミ。
ただ、今までの学生生活/児童生活を振り返るにあたり、これはどこかで破綻するのではなかろうか?という不安がある。続くんだろうか、親や、インスタで見る友達や、他の社会の人たちみたいに、40歳になっても60歳になっても、やってけんだろうか?わかんねーけどやりてー
ともかく今、かなり、おおかた、健康!
とんびちゃん看取るまで絶対死にたくないぜ!って思う。その後は知らない。その後は死ねばいいんじゃないかなと最近思う。
寛解の時期がいちばん辛いと言うが、正にそうだと感じる。
転職前、一時的に精神科にかかった。
頑なに拒まれていたSSRI系の薬で精神状態が一気に好転した。ただしこれが薬効であり、必ずしも自身のパワーオンリーではないことは把握していた。ひとまず跳び箱を飛ぶ前の、飛板(バネ付きの補助)?を用意された状態だった。
しかし効果は凄まじく、あれよあれよと健康に、あれよあれよと正社員。今では立派な社会人。
わたしが狂ってドブに捨て続けた時間の間に、同級生は皆大学を卒業し、就職し、結婚までしている者もいたりして、素晴らしい人たちと思いながら、わたしもようやく素晴らしい欠片を手に入れたのだと思った。しかしこれが一体、辛く苦しい道のりだった。
今の今まで放置していた、子供の自分の部屋を守りたくなってきた。汚いけど大切な自分を優しく守ってやろうと思うようになってしまった。諦めたくなくなって、でももうそういうのはな〜、と思いながら、嫌なことを言われたりされたりすると凄く嫌なきもちになってしまう。
反動なんだろうか。反動だろうがなんだろうが、ムカつくんだよー!こんな自分によー!と思う。かつて大事にしなくて良かったから滞りなく進み、滞りなく進んでいたらドブの中にドンドン沈んで行った自分がいた。いま、自分を大切にしたいという思いが暴走する、正社員化け物の誕生である。
絶対的な暴力が欲しい。絶対的な支配が欲しい。そういうのがあれば諦められたのに、中途半端にみんなの端くれみたくなりかけていて、「言い方は悪いけど安定」してしまって、正しい守り方も正しい大切の仕方も分からない。人間赤ちゃんだ。それで最近は、自分を大切にしたくて、嫌なこと言われたら過剰な反応をしてしまって、人を傷つけたり、面倒をかけたりしている。暴走暴力家庭は素晴らしいものに思える。私が嫌って言ったら、殴って欲しい。
最近友達が死んだ。また。
何なんだ。バカがよ。なぜ。意味がわかんないよー。やり切ったな。偉かったね。置いてかないでー。あの時のお話の続きは?泊まろうよまた。ベットカバー買いに行こうよ。傷の手当ありがとう。色々思う。
私は死んでない。まだ死んでない。
ガハハ、これだけで丸儲けというなら本当に早く死なせて欲しい。
寛解の時期がいちばん辛いというが、もしこれが寛解ではなく一時的な躁だとしたら恐ろしい。寛解でも怖い。精神科には通っていない。1ヶ月低用量のSSRIで良くなったと思った。薬のせいか?それとも俺のせいなのか?私が私である以上、越えられない柵がある。柵の向こうに緑緑しい皆様の綺麗なお庭がある。
友達は最後どう思っていたのかそんなことは全く分からないが、やり遂げた人の死に対して尊敬の念を持っている。そのうえで寂しいし辛いし悲しい。それとは全く別のところで、私は私の死を大切にしたい。
その為に、とんびを健康に育て切り、愛しきり、仕事をし、ぐうぐう眠り、たまに吐いたり眠れなかったりしながら、なんとかやらないとという強迫観念と追いかけっこをし続けよう。私はそう思う化け物だった。
.txt_2
でももう回り疲れた。
清算も生産も意味を成さなかった。
楽しくても頑張っても嬉しくても
努力しても綺麗にしても良くなっても
過去があって、
それを別に犯罪にも出来なくて、
いっそ犯罪者だったら良かった。
実家にいた頃、降り注ぐ愛と暴力の中、このままいったら自殺か犯罪者だぞ!と思っていたけど、どっちかなら自殺だ。
誰かを殺したくない。
だからとんびが死んだら死のうと思う。
それまでは本当に頑張って頑張って行こうと思う。勉強も頑張って、仕事も頑張って、楽しく今を過ごそうと思う。語学勉強もまた再開した。楽しい。
だけど過去があるからね。
意味ないからね。
忘れちゃ駄目だったからね。
初めてちゃんと死のうと思うと書いた。
言った。思った。
死にたいと思ったことはごまんとあったけど、明確にビジョンが生まれた。
ありがとうありがとう。
今を否定されないような過去を作った方が良かったな。後悔も意味ないですからね。
死ぬまで頑張るぞー!
.txt
久々に書く。
最近は、最近は、と毎回言うけど別に大きな目線で見れば代わり映えのない生きてる日々が続いていたと思う。
我が家の可愛いとんびが4歳になった。
最近は家のあちこちでゴロンと寝たり
ウトウトしたり、リラックスしている。
人と追いかけっこをして、
水が足りない餌が足りないと思えば
人につついてお知らせをする賢い可愛い
とんびちゃん。
これからも沢山食べて、沢山遊んで、
沢山寝て欲しいなって思う。
すっごく思う。
我が家の可愛いめだかが亡くなった。
寿命だった。
長く生きた方だと思う。
ハムスターの2年半は長いと思う。
めだかの名付け理由は、めだかを購入した
際のレシートが「メダカ」と記載されていたからだった。
白くてグレーでシマシマでふわふわで
人見知りと引きこもり気質の
ぐうたらハムスターだった。
亡くなる数ヶ月前から、今までなかったのに突然人に近づくようになった。
ケージの外に出ようとしたり、おやつの催促をするようになったりした。
死期を悟っての行動なのか、
単純に老いて警戒心が緩くなったのか、
分からない。でも最初から最後まで
ずっとずっと可愛かった。
亡くなった翌日、埋葬した。
めだかは生涯愛されていたと思う。
私は転職した。夜職も辞めた。
絵を描いたり描かなかったり
物を吐いたりし続けていたが、
とりあえず真っ当に生活しないと
ならないと思い、
正社員として転職した。
金銭感覚の狂いだとかそういうのは
皆無だったと思っていたが、
そもそも散財癖がある事に気付いた。
そりゃそうか。破滅癖があるので納得。
飲酒量がぐんと減った。
過食嘔吐も減った。吐く量はあんまり
変わってない気がするけど、ひとまず
少し良くなった。
顔色も良くなった気がする。
破滅癖が治ってきたような感覚。
転職の結果、大学でカスリもしてない分野に突然飛び込んでしまったので、覚えることが膨大にあった。今もある。
主に医学・薬学関連の勉強を続けている。
人の体はよく出来ている。
ひとつの筋肉を切ると他が終わることが分かった。
ふたつの薬を出すと全身が終わることが分かった。
お前の壊し方、知ってるからな。
そして治し方も色々知ったからな。
勉強は楽しい。
薬は元々ある程度知識があるお陰で勉強しやすかった。難しいことは知らなくても良いし、良い塩梅の勉強具合に日々喜んでいる。
勉強会が開かれる日は、
他の人は飽き飽きしているけど
私はワクワクして過ごしている。
〜〜〜〜〜〜〜〜間〜〜〜〜〜〜〜〜
ここでクイズです!
読んでいるあなたが考える極悪犯罪者が、かつてあなたにも少なからず危害を加えたが、奇跡的に大変改心しその後もボランティアに勤しみ、福祉施設等を無償で建設しました。
この極悪犯罪者、許せますか?
改心したと思えますか?
許せるけど改心したと思う人、
許せないし改心してないと思う人、
許せないけど改心したと思う人、
色々いると思う。
じゃあ「許す許さない」を少し掘り下げて、「改心したであろう現状を犯罪歴に加味せず評価できるか」にしたらどうなる?
なーんか心象は悪いよね。きっと。
悪いやつが頑張って色々しても、悪い奴だった事実は消えないので。
そんでそんなに極悪人ならそもそも死刑になったり無期懲役になったりで、出てこられないのでは?という事もあるので。
私はその極悪犯罪者です。
法律で罰されないだけの、極悪人で、
過去のせいでどうにもならないみたいです。そりゃそうだ。忘れてた。
〜〜〜〜〜〜〜間〜〜〜〜〜〜〜
最近、転職した。
生活を頑張っている。
今までよりちゃんとしようと、
同居人にも具体的にお伺いを立てつつ、
QOL向上へ向けて様々な努力をしている。
実際「週7出勤」の概念のせいで家事はずっと家にいる同居人に任せている。
といってもゴミ出しや、
脱衣所からトイレからリビングまでの掃除、台所のものの配置、ご飯作りは私がやっている。
同居人に任せているのは、
ご飯食べた後の洗い物、洗濯物(乾いたのを回収するのは同居人の起床が遅い為私がやったりする日もある)と、食材等の買い出し(他雑用品はお互いに行っている)、あとお風呂場の掃除。
これでも分担して出来るようになって素晴らしい進歩だ。進捗なんだ。
でもやっぱり仕事してると家事負担が辛くて、家に長くいる人に頼みたくなった。
それで言った。
「せめて洗濯物は乾ききる時間に干して、とは言わないから、乾いていたら洋服はハンガーから外して置いておいてほしい。どうしてやってくれていないのか分からない」
そしたら、言われた。
私が今まで全然お昼までグーグー寝て、洗濯物はたまにやるばっかりでほとんどしてなかったから。だから敢えてやってなかったらしい。分かってたけどやってなかったらしい。
過去がね、駄目でした。
小さい事だったけど衝撃だった。
QOLを上げましよう、こうしましょう、
と今後の指針を確認しあった日に
私は今まで積極的に参加できなかった事実を認めて謝ったし、その上でこれからはやっていこう!と言った。
でもこれは、過去の清算でも未来の生産でも何でもなかった訳だ。
夜職して昼職して不眠症で気が狂ってて、家事をご飯作りと洗い物しかしてこなかったツケが回ってきた。
家事だけじゃない、
一次障害のアスペで、二次障害の精神疾患持ちで寛解したかどうかも怪しくて、未だに親の幻像に囚われている長い長い過去と、過去から繋がる今のツケが回り続けている。くるくるくると回り続けている。
私は、アスペだからなのか、生来持ち合わせた思想からなのか、過去は過去としてポイント、ある一点と思う節がある。
その点が連なって限りなく線に近づき、現在と繋がるように見えていると思う。
その先に未来があるとしてもそれは観測できない不明確な対象にもならないものでしかないとも思う。
となると、過去について糾弾されるいわれはあっても(そもそも無い方が良いが……)、現在について過去を引き合いにアレコレ不具合を講じられるのは納得いかない。
納得いかないけど、大人なので、
そういうものだと思います。
普通に極悪犯罪者の改心話は胡散臭いし、その価値観もわかる。
そして私は犯罪者じゃないから、投獄されず、生き地獄にいる。
どういった地獄か?
「人は変われる、変わっていこう、頑張ろう、良くしていこう」と未来を語る口と同じ口で
「お前の過去があるから俺はお前の今を評価しない、過去があるからお前の今の努力の価値は考慮しない」と言われる地獄。
ダブルバインドですそれは。
怒っても仕方なくて悲しくて泣いた。
でもこれはわかってた地獄です。
ずっと分かってたのに最近忘れてた。
忙しかったからね、物忘れがあるね。
燃えるゴミ、こないだ
出し忘れちゃったしね。
桃大好きネ
不動産情報と転職サイトを見てたら変な時間に気絶したらしく、14:30に起きた。アラームを止めた記憶もぼんやりだった。
最近全然起きたり寝たりをちゃんとしてないな。1週間前までは、ほんのちょっと、ちゃんとしてた。
外に出たついでに、家計簿をつけて、本を読んで、帰りに薬局でグッドミン(気休め眠り薬)を買おうか悩んだけど、どうせ明日日焼け止めと下着を買いに出るからいいやって思って、えいってマツキヨの前を歩いた。
夕方の風が向かい風で、生温くて、泥の中をぐりぐり歩いてるみたいだった。でも気持ち良かった。温水プールにいるみたいで良かったんだよねー。
最近全然ちゃんと寝たり起きたり、と書いたけど、大分精神は健康はマシになっている。
要因として大きいのは多分病院にいって、今まで飲んでなかったSSRI系の処方があったからだと思う。
本当はもっと通わなくちゃいけなかったけど、良くなった!と思ってるし、予約も行けなかったし、また落伍者の烙印を押されるかと思うと気が滅入ったので辞めた。
これは、
WAIS検査をもっかいやるか?という話で通院は終わっている。理由は、当時ギギギギになってた自分が、「本当に私はガイジなんですか?もう普通の怠慢な人間の方が良いんですケド……(踏ん切りつくから)」と食ってかかったことが原因なので、今後も行く気はない。負けガイの遠吠えなので……( ; ; )
通院を辞めてから、薬を飲みきって、機嫌が良くて、躁転かとも疑ったし、実際躁転してた時期はあったと思うんですけど、まあそれでも今はひとまず平常な感じ!たまに気がおかしくなる。でも平常に戻るのが早くなっている。本当に良かったよ。
〜〜〜〜〜間〜〜〜〜〜
今まで夜毎、ぼろぼろ泣いたり嗚咽したりしてたのが嘘みたいで面白い。何だったんだろう。
こういうのを、1番苦しい時がずっと更新され続けてる時に「いつかなんでも無くなるよ」とか「時間が経てば忘れるよ」と声を掛けてくれる人がいるけど、全然あの時の苦しー!とかイヤー!とか忘れてないな。
何だったんだろう、って思うのは
別に良くなったから「どうでも良くなった」んじゃなくて、むしろ今までより明確に、なんの時間だったんだろうとか、何の為に苦しまなきゃならなかったんだろうとか、そういう方向の気持ち。
薬飲んで良くなったのもあるし、生活の中で落ち着いてきたのもあるし、色々あると思うけど、実際にあの時苦しんでた自分は結局誰にも自分自身にも救えなかったんだと思うと、寂しい感じになる。校庭の埃っぽい土が鼻にいつまでもまとわりついてるみたいな、ヤな感じ!
桃の匂いがして、顔を上げたら八百屋が声高く売り込みをしていた。いい匂い。桃大好き。ヤな感じがして、泥の中をえいっと歩いてきたけど、いい匂いがしたから良かった。
うーん、今日は一日良かった良かった。
明日も良いといいな〜と思う。
お金を沢山稼ぎたい。そうしたらどっか遠いところに引っ越して、良くなった状態で更に良く過ごす。
彫蛇のしんく!
20歳が終わったら刺青を入れると決めていた。
21歳になったら生まれ変わると思いたかった。
地続きの日々を終わらせたい気持ちがあった。
入れてからあっという間に
22歳の夏休みになって、
23歳の夏休みになって、
知らない場所に2回引っ越した。
親とは相変わらず不仲のままだが、23歳の冬、今、親のことをよく考えている。好きだったのになとか。考えても仕方ないことを考えてしまう。
〜間〜
刺青を入れる時、長く続いてる彫師の方の
所を探した。タトゥースタジオ等は避けた。
アートやファッションではなくて、
宗教に近いものを自分自身に感じていた為だった(別にアートとしてのタトゥーや刺青を悪いとか言ってる訳では無い)(宗教に近いものを課してるような、成してるような、私は私以外の信仰無くして生きていない感覚がある)。
彫師は、皺のある、ガタイの良い、男性だった。大学前のコンビニで予約の電話をいれた。
静かに、年齢や日時についての相談を、はい、はい、と答えられた。不必要な情報は聞かれなかったのでよかった。
カウンセリングを事前に行うことになって、
自作のデザインを見せながら、他の作品を見せてもらいながら、最終的にどうやって入れていくかを決めた。
部位は小さくデザインも細かく入れにくいものだったので、丁寧な作業が要されるようだった。そこでも彫師は静かに聞いてくれた。
「どうして入れたいの」等は聞かれなくて、それもよかった。
また後日、3日後くらいに施術する段取りになった。私は早い方が良いと伝えたのでそうなった。施術日は21歳の誕生日前日だった。それがまた私を暗い高揚に落とし込んだ。帰り道に咲いてた花より、ずっと生き生きしていたと思う。
〜間ッ〜
施術は思ったより長く、思ったより無痛で、思ったより血が出て、思ったより暖かった。
直前で「本当に良い?」と聞かれた。「はい」とだけ返した。
なんだか歯医者さんにいるみたいな音がすると思っていたけど、静かなもんだったな。
〜間〜
今思えば、前日のカウンセリングも、施術までの日数も、長く取ろうとしてくれていた気がする。
見た目からしても、年齢や大学生だと言うことからしても、この彫師の所に来るような人間ではなかったからだと思う(見せてもらった作品も女性が少なく、大柄な男性の背面や腕が多かったのはそういうことかな)。
だから余裕を持って、じっくり聞いて、じっくり待てる時間を作ってくれたのかな。
後悔は無い。
例え何日待っても考えは改めなかっただろうな。
21歳になったら私は20歳までの私とは変わっていて、そのシンボルとして、その形として、その表明と、自分自身への慈悲と、声掛けと、忙しなく健気な愛情として、入れていたと思う。
〜間〜
また1年が終わるので、ふと思い出した。
彫師の方は本当に素晴らしい方でした。
私はこれからも白蛇が伝う我が身を、ぼんやり生きてしまう自分を、大事に出来たらいいなって思う。
計画的ココア生活!
計画的に死のうかな。
泡立った髪を流しながら思った。
返さないといけない恩もあるし、
やらないとまずいこともあるし、
とりあえず全てを返済して死のうかな。
自分1人のことだったらもうとっくに
死んでいてもOKなんだ。
特に生きていたい理由も、
生きていて獲得可能な効果も、
極々限定的でひじょ〜〜うにコスパが悪い。
ただ、今のところ全然自分1人じゃなくて
1羽と1人の生活がかかってくるし
(ウサギの兎生と同居人の家賃等)
(兎生はトセイです。うさぎの人生やからね)、
友達にも死ぬ時は連絡しないとまずいと思う。
数年前、本当に数少ない友達のうち、
更に2人しかいなかった心からの友達の1人が
事故死してしまった。
未だに受け止めきれてない。
たまに街で似た人を見かける。
だから告知はしないとな……と思う。
悲観的になってるわけでもなんでもなくて
非常に前向きに人生の終わり方を検討してる。
勝手に死にたくないしよ。
〜間〜
亡くなった人の分まで生きろ、という文言が
ありますが、ありゃあ偽善で欺瞞で傲慢だね。
確かにそこで人が死んで、
確かにここで人が生きている。
そこにどうして命の代替提案が出来るんだ?
できないよね〜と思う。できませんよ。
できないから頑張るんですけど、
頑張り方はどんな方向でも構わないと思う。
最後はみんな等しく灰と土ですよ。
〜間〜
ひとまず仕事をまた探して決めたり、
引っ越し屋さんを決めたり、
お役所手続きを済ませたりして、
返すべきものをお金として貯蓄したい。
現代資本主義社会に生きる我々にとって
お金っていうのは分かりやすく絶対的な
価値だからね。
かなり残念だけど、私そのものには
価値が無いので、労働力として活躍した後、
換金を通して返済しないとならない。
家事もその1つだと思うので、
今後もお料理以外ももちろんがんばりたい。
全部良くなったら、そんでお金も十分に
貯まったら、然るべき人達に渡して
お礼したあと、死のうと思う。
それまではどうにかこうにか
お風呂に入って体さっぱり頭スッキリにして、
寝て起きて働いて頑張るつもりだ。
何年先か、何十年先か、分からない。
それでいいんだと思う。
人生を長い自殺にしたいよ。
それまで毎日ココアも飲みたいしよ。