あたま日記

小学生の落書き帳みたいな気持ちです。

思い出せ!ハナチャンっ

ここ数ヶ月、引越し先も決まらないまま、
大して仲良くない人とのトラブルも超えつつ、
実家に置きっぱなしにしている私物が
燃やされてないか心配しながら過ごしている。


どうしたらいいですか?不安だ〜
不安なのでずっと落ち込む。
アニマル浜口より連呼できるよ俺、不安って。


増えていくのはその不安と付随する焦燥感。
反比例してお金と靴底とまあるい気持ち。


日毎痛まる胃と頭をフリフリなでなでする。
外に行く気力もなければ部屋でゲームする気力も
ない。スプラトゥーンの起動がもうダルい。
映画館だって好きなのにさ。行けてない。
涙そうそうだよ。頭かち割れそうだよ。


そんな中、つい悪い言葉が出そうになる時、
歌ったり奇声(本当に純粋な奇声)をあげたりする
ことでなんとかやっているけどいつかガタが来る
ことに怯えている。クソー!外に出してくれ!
水を見たい!空を見たい!歩きたい!


「本当は散歩や外が好きなのに……」という
自分へのガッカリ感がさらに俺を追い詰める。
さらに気力が削がれる。抜け出せるはずなのに、と
思うと抜け出せなくなる負のスパイラル。
やるせないぜ情けないぜアミーゴ。





〜間〜




一体いつになったら「日々をやり過ごす」なんて
言わずに過ごせるようになるんだろうか(別に日々を謳歌したい!とかそんな大仰なことは望んで
ない、ただ楽しいことは楽しいまま過ごしたい、
ただただ無為に悲しくなりたくないだけだ……)。


多くも大きくも望んでないのにいつだって叶わないものだけをピンポイントで狙ってしまう沢田綱吉もびっくりのヒットマンが私、23歳、職なし、
金なし、資格無し。ついでに家もなし。






〜間〜





最近のお悩みコーナーで予想外だったのは、
「友達いない自分惨め」問題だった。



今までそんなに多くはないものの、長い月日を
経て、信頼出来ると、こちらから「友達だ」と
言える友達が2人できた。一人は亡くなった。
一人は遠い場所で今も生きてる頑張っている。
それだけで十分だった。別にしょっちゅう
一緒にいたり遊んだりしなくても全然良かった。

それはそれとして大学でも周りの人はみんな良く
してくれたし同期の女は全員好きだし先輩も後輩も優しい人ばかりでよかったな〜と思ってる。
高校以降はほとんど入退院と通院で覚えてない。



狭くて小さい世界で見つけたさらに小さくて
それでもとびきり輝いて暗がりで寄り添うような
この友人関係が私の一人の時間をより豊かなものにしてくれているし、と同時に友達との時間をより
鮮明なものにしていると思っている。



だからちょっと、この悩みっていうのは、
こっち来てちょっと、
頼れる人も仲が良かった人もいない状況になって
ちょっとだけ心細かったことが発端だった。
(今ならそれがどれだけバカバカしくてしょうも
なくて持つべき悩み方じゃなかったか分かるのに、後悔先に立たずcool guy suck my assというワケ)


友達とわいわいお料理会をする同居人、
キッチンの隅っこで1人作り置きを作る私、
昼下がり楽器を弾いてお酒を飲む同居人、
暗い部屋でストゼロを煽って泣く私、
同居人が褒めちぎる友達の料理、
彼氏に決して紹介されることのない私、
私めはカスです。
私めはゴミです。
私めは苦しいのですがこれを苦しいと言ってはいけないらしいので本当にどうしたら良いか分かりません、本当に本当に分かんないんです楽しくない何にもさあ苦しいよぼんやりゆっくり殺されるんだこんなことってなあ!おい!ダメだろ!倫理!オイ!


悩みはいつだって複合的で多角的に捉えないと
その姿を捕まえることは出来ないけれど今回も
例にならって全ての因果は己の低自尊心だ。
100点満点のネガティブだ。むしろ元気。


具体的にどうダメになっていったかというと
本当に簡単で、単純なダメのなり方だった。


大人数でやるボードゲーム売り場が実に顕著だった。見る度具合が悪くなる。吐いた。昔ODで完全に最悪になって以降、薬局の薬の棚を見ると当時の吐き気が気持ち悪さが思い出されるのだが、全くそれと類似している。最悪だ。ボードゲーム売り場は悪魔に魂を奪われる。目が潰れる。また吐いた。


というのも、まあ、なんだ、環境の変化とか
そういう感じで酷く疎外感やら劣等感やら
コンプレックスやらが刺激されただけに過ぎないのだけれども……。


だけど私は思い出すべきだったし、必ず思い出す。
今もこうして思い出して悩みに打ち勝った。

私はそもそもそんなに望める人間か?
そもそも疎外感を感じるほどの人間か?
劣等も何も比べられるほどの何かがあるか?

なんにも無い、何一つない、中途半端で宙ぶらりん
お化けのお前ができるたった1つの救済と絶命。

諦念を思い出す。諦観しろ。本質は1つだけ。
全てを見つめたんだから自信を持って思い出す。
諦めること。孤高も孤独も関係なく、全てが
始まって終わるだけだ。もがいた分だけ苦しくなることをしっかりピッチリ思い出す、いつだって。




〜間〜





今、昼下がり、冬の気温、居候先の近くの公園、
砂利の上にとんびと座って日向ぼっこしてたら
急に1人で全然大丈夫だったこと思い出した。
全て思い出した。

寂しさは全部まやかしだった。
疎外感なんて最初から入れない人間が抱くべきものじゃなかった。もっと重要なものを抱きしめておくべきだ。例えば隣で寝ているウサギとか。


疎外感を感じて良いのは、最初からそこに
入れることができたであろう人間だけだ。
入れもしない、紹介もない、招待状もない、
人間として駄目な私が抱いてたって邪魔だ。

そう思って過ごしてきたことを思い出して
はち切れそうな穏やかさと、尖りきった優しさを
取り戻すことが出来た。良かったね。
日向ぼっこってサイコーだ。


私は私を好きだとか思えない
けどそれでもいい、
いいよって言って抱きしめる。

せめて楽しく美しく過ごすことだけ考えて流す日々だけが一瞬輝けばもうそれでいい。
今日は早寝しようと思う。