あたま日記

小学生の落書き帳みたいな気持ちです。

おっきい花束!

お花が好きだ。
一番最初のブログにもこう書いた。

海も好きだ。川も水溜まりも好きだ。
今までのブログにもこう書いている。

光が好きだ。
花弁が透けることで知る光や、
水面が反射することで知る光が好きだ。

みんな綺麗だと思うし、
何よりものも言わずそこにあるのが好きだな〜
と思っているいつも。



お花も海も川も光もみんなありがとう大好き!



〜間〜



その点人はよく喋るし動く。

みんな誰かの大事な人で、誰かの敵で、
誰かを殺した末端で、誰かを救った先端で、
なんかうまいことやっているんだと思う。
すごいなぁって思う。



毎日、本当に心の底から周りの人達全員に
あらゆる幸福があって欲しいと祈っている。

好きな人達には殊更思う。
手助けになるならできる限り尽くしてる。


みんな、おいしいごはんと
あったかいおふとんと、優しい人に囲まれて
いて欲しいと思う。


本当にみんな幸せでいてほしい。
何かから愛されていてほしい。




〜間〜




一方で私には愛に埋もれる才能がないと思う。

他人から与えられたものを受け取る才能がない。


ある程度の自信や自尊心に裏付けされた
幸せを受け取るための両手がない。

優しさを頬張るための口もないし、
それを伝える言葉も知らない。



なにより相手に申し訳ない。


ただただずっと相手に申し訳ない。
罪悪感だけが募っていくだけで、
ずっと心が苦しい。

「幸せになってください」と
心底願っているのは
「私がいない遠くの所で」
という意味もあったんだと思う。


みんなの幸福には絶対に絶対に
私がいてはいけないと思っていた。


それは私が私である以上仕方がないことで、
それこそどうにもならなかった。

諦めていくしかないんだと思っていた。

どうか許してほしかった。
でも許されないから、諦めるしかなかった。



花や水や光は何も言わなくて、許すとか
許さないとかもなくて、尚更好きだった。



〜間〜



そういって辛いのから逃げ続けて作りあげた
心地よくも仄暗い諦めだけが
ずーーーっと心の真ん中に横たわっていた。

大きな悲哀も無い代わりに得た一時的な安心を、
諦念を接着剤代わりに継ぎ接ぎやってきた。



最近は悲しくなる。
本当は諦めたくないこともあったのにな、
あるのにな、と思うから。



これはすごく惨めなことだった。
才能がないと思う自分を認めるのは大変だった。

花や海や光ばかり見て、
人と深く関わらず逃げている方が
刹那的な安心を得られることは確かだから。


でもこれは絶対に安寧ではなくて、
いつか駄目になるのも分かっていた。
これにすら仕方がないと思っていた。

「仕方なく無いよ、大丈夫だよ」って言うのは
逃げるよりずっとずっと大変だった。


本当に惨めだった。
私はまだまだずっとかなしい。
それでも頑張ろうと思う。



こんなに惨めで悲しくなるなら思いたくなかった、
という気持ちと同じくらい、

絶対に絶対に諦めないで辛くても
耐え忍んでいつか自分だけの花束を抱えて目一杯
微笑みたいという思いがある。



私だって絶対に幸せになりたい。


いつか絶対、大きい花束を持ちたい。
そしたら好きな人にきっとあげる。
きっとそれは綺麗な小花でいっぱいだと思う。

私はまだまだ苦しい。
でも果てに見る光も、海も、花も、
今よりずっと素敵な気持ちで見れると思う。

そしたらいちばん綺麗な海で、
いちばん綺麗な日が差すとこで、
花束あげる。